第1回同窓会(2017/1/3開催)

 

第1回同窓会写真集

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参加者(13名)
 

入学年 学科 名前  氏名読み  出身中学校 住所 
S44就任 特別会員 武市 啓志 タケチ ケイシ   初代コーチ
1968(S43) 7M 濱田 憲一 ハマダ ケンイチ 城東 大阪府寝屋川市
1968(S43) 7M 石川 浩幸 イシカワ ヒロユキ 大正 高知県須崎市
1968(S43) 7E 後藤 雅彦 ゴトウ マサヒコ 潮江 高知市
1968(S43) 3Z 柳瀬 晴朗 ヤナノセ セイロウ 伊野 香川県高松市
1969(S44) 8M 西田 善隆 ニシダ ヨシタ力 仁淀 干葉県佐倉市
1969(S44) 4Z 大野 雅文 オオノ マサフミ 城北 高知市
1970(S45) 9M 鳥谷(柴岡)初 トリヤ ハジメ 橋上 茨城県日立市
1970(S45) 9M 掛橋 豊秀 力ケハシ トヨヒデ 越知 高知市
1970(S45) 9E 柏本 祐滋  力シモト ユウジ 仁淀 奈良県宇陀市
1971(S46) 10E 岡田 稔 オカダ ミノル 仁淀 愛知県小牧市
1972(S47) 11E 長﨑 勝彦 ナガサキ カツヒコ 青柳 東京都昭島市
1977(S52) 16M 弘瀬 源悟 ヒロセ ゲンゴ 西部 大阪府豊中市

 

参加者の思い出話

「第一回 高知高専水泳部同窓会」で披露された思い出話。平成2913日 13:0015:30 高知市はりまや町 「葉山」

● 初めての水泳部同窓会。卒業生名簿を見ても、誰が水泳部員かわからず、「高知高専10年誌」、「高知高専20年誌」の水泳部に関する記事を見て、わかる範囲で声をかけた。(7M 濱田憲一)

5月のプールは水温が低くて、練習をサボろうと思って寮の風呂に入ったあと、濱田部長が寮の全館放送で、「水泳部は雨が降ろうが槍が降ろうが練習をやります」と呼び出され、練習に行った。(笑) (9E 柏本祐滋)

(柏本の発言を受けて)

● 当時のプールは水の循環ろ過用の穴からの漏水が多く、毎日プールの水が半分くらい抜けるため、その分、毎日地下水を入れていたので水温が低かった。山崎長雄先生のご提案で、その穴を硬化樹脂で塞ぎ、漏水が無くなった。 (7M 濱田憲一)

(さらに)

S46年の第8回高専大会は高知高専での開催で、自分たちは「地元有利」と思っていた。その理由は、こんな水温の低いプールでは、他の高専の水泳部員はタイムが伸びないから(笑) (7E 後藤雅彦)

● 高専大会が終わって、高知市民プールの国体予選に出場した。初めての50mプール。レースで自分が半分を過ぎたころ、他校の選手が折り返してきた(笑) (3Z 柳瀬晴朗)

 一年生の時、あまり勉強しなくて数学の点数が悪く、担任から山崎長雄先生経由で指導生であった濱田部長への指令(?)があったようで、指導生室に呼ばれ、毎日「監禁」されて数学だけを勉強した。そのおかげで数学は高得点を採れ、進級できた。(現在は進級塾を経営している 9M 掛橋豊秀)

● 武市コーチのバタフライはフォームが柔らこうて、25mプールを5ストロークで泳がれた。(8M 西田善隆)

● 国体予選で初めて50mプールのスタート台に立ったとき、50m先が凄く遠いと感じて途中で溺れるのではないかと思った(笑)8M 西田善隆)

  S431学年時切正寮で同室だった7M濱田、7M石川、7E後藤、7C大橋、3Z柿原の5人で水泳同好会を立ち上げた話がM7濱田さんから紹介された。翌S448期生の新入会員を迎え会員数も増え、更に夏に開催される第6回四国地区高専大会から水泳が正式種目になるということもあって、S44/5/8に体育館で開かれた臨時学生総会で、2学年になったばかりの濱田さんが全学生を前に、同好会から部への昇格を熱望していることを切々と訴え、満場一致で部への昇格が認められ、高専大会への参加も約束された。 (7M 濱田憲一)

 9M 鳥谷(柴岡)さんは入部したころは泳ぎが得意ではなく、毎日1コースを使ってクロールの練習をひたすらさせられた。後にクロールの選手になったがクイックターンが下手で、試合では武市コーチから「おまえはクイックをせんでよい」と言われた。

 10E岡田さんは山間部の仁淀中学出身で、学校にプールが無かったせいで泳ぎは得意ではなかった。そこで9M鳥谷(柴岡)さん同様、入部当時は7コースを使って往復練習ばかりさせられた。このときの練習のお陰で自由形の長距離(400m800m)が得意種目となり、その後高専大会で勝ちまくった。

 8M西田から仁淀人の紹介があった。今回の同窓会参加者13名中、仁淀出身者が8M西田、9E柏本、10E岡田、4Z大野の4人も居るぞ(凄いだろう)恐るべし仁淀人。

 11E長崎さんは平泳ぎが専門でビート板の練習では濱田さんより速かったが、ビート板を離して手を使うと、とたんに遅くなった。当時の平泳ぎの泳法違反を気にするあまり、手足のバランスが崩れてしまったのが原因。

 4Z大野さんは城北中学時代に水泳を始め、自由形では県で12を争う実力者でした。そして城北中学で同級生だった8C元部さんはオールラウンドスイマーで特に背泳ぎが得意でした。また7M濱田さんは城東中学時代に平泳ぎで県下に名を轟かせていました。これら実力者3人がS44に高知高専水泳部に集いました。3人の存在は他の部員にも刺激を与え水泳部全体の力はどんどん延びて、その年の夏に開かれた第6回四国地区高専大会では12年生だけで編成したチームにも拘わらずぶっちぎりの成績で優勝し、その後の8連覇への石礎となりました。

 9M 鳥谷(柴岡)さんは水泳だけでなく陸上の長距離も速く、校内マラソン大会では上位入賞を果たしたこともありました。

 冬場の水泳部の練習は陸上選手と見間違うほど良く走らされました。そして練習の成果を試すために南国市農協訪問駅伝に毎年出場していましたが、ある年高知高専の陸上部に勝ってしまい、彼らに大恥をかかせました。

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