水泳部の歴史

高知高専10年史、20年史、30年史、50年史の中から水泳部に関する記事を抜粋して掲載します。 

1.高知高専10年史 1973(S48) 初代顧問教官:山崎長雄 著
2.高知高専20年史 1983(S58) 2代顧問教官:小松一秀 著
3.高知高専30年史 1993(H5)  3代顧問教官:松内尚久 著
4.高知高専50年史 2013(H25) 9代顧問教官:高田 拓 著  
  

1.高知高専10年史の中の水泳部に関する記事 初代顧問教官:山崎長雄 著

昭和48年7月21日、高松高専で開催された第10回四国高専体育大会のプールサイドに、水泳部の今年の卒業生、濱田憲一、後藤雅彦の両名が後輩を激励するため元気な姿を見せた。夜も部員の宿舎へ来たし、翌日も仕合が終わるまで熱心に応援した。 高知高専チームはこのため意気大いにあがり5連勝の記録を樹立することができた。
 
顧みると、この水泳部が水泳同好会として発足したのは今から6年前の昭和43年5月であった。会員は城東中学でブレストを泳いでいた濱田憲一を中心として、石川浩幸、後藤雅彦、大橋邦一、柿原秀樹の5名で全員1年生。顧問教官山崎長雄。会員も顧問もただ水泳が好きだというだけの文字通りのささやかな同好会としてのスタートであった。次の年の昭和44年より水泳が四国高専体育大会の正式の種目として公認された。同、 四月には、城北中学で個人メドレーをやっていた元部英治他11名の新会員を迎え会は大いに充実した。5月8日の臨時学生総会で同好会が正式の部へ昇格することが承認された。 濱田も顧問の山崎もこの年の承認は無理ではないかと危惧の念をいだいていたので、承認が決定して「よかった、よかった。これからやるぞ。」と手を取りあって喜んだ。6月、武市啓志氏を南国市体育館より招聘して部員をコーチしてもらうことになった。7月21、22日、高松で開催された第6回四国高専体育大会に初出場した。相手の実力がわからず予想はぜんぜんたてられなかったが、ふたをあけてみると他校のレベルが意外に低くかなりの大差で初優勝した。仕合中、野手校長がプールサイドに応援に来られた。 個人メドレーで小柄の元部が泳いでいて、他校の上級生の選手をつぎつぎとぬき一位でゴールにすべり込むのを目撃され「うちには小さいのに強いのがいるな。」と顧問の山崎を顧みて驚かれかつ喜ばれた。

昭和45年4月、新部員柴岡初他7名が入部した。7月21、22日、阿南で第7回四国高専体育大会が開催された。水泳部は旅館で極めて悪いサービスを受けた。枕もなく敷蒲団も不足して、座蒲団を並べてその上に寝るという最悪の条件にもかかわらず2回目の優勝をなしとげた。8月22日より水泳部は合宿の予定であったが不参加者が続出して中止となった。昇天の勢で隆盛となった部があっけなく高専大会で2連勝した後の虚脱感による部員の意欲の低下があったではなかろうか。せっかく計画した合宿がつぶれ、このようなことでは将来この部はどうなるであろうかと濱田と後藤が心配のあまり顧問の山崎の家に集まってその対策に腐心した。10月27日の部会で第2代目の主将に元部英治、副主将に西田善隆が選出された。

昭和46年4月、岡田稔他12名の部員が新しく増強されたが、その中に化学五年の尾崎玲子、見邨昭子および一年山岡美智子の3名の女子がいた。この年の夏季の合宿には尾崎、見邨の二人はママさん役として食事の世話などいっさいを引き受け部員の面倒を見るとともに、自分自身の記録を大幅に更新して男子部員の志気をたかめた。一年前合宿が中止となったときのことを思いかえすと隔世の感があった。部のムードはすっかり生気をとりもどした。7月21、22日、高知で開催された第8回四国高専体育大会で3回目の優勝をなしとげた。9月部会において、第3代目主将柴岡初、副主将柏本祐滋が選出された。

昭和47年4月、冨永豊、島本信弘、松本俊哉、長崎勝彦、吉田尚史の新部員を迎え入れた。7月1、2日の中国四国学生水泳選手権大会が高知市営プールで開催されたが、濱田憲一は世界的スイマー田口と並んで泳ぎ2位に入賞した。7月20、21日新居浜で開催された第9回四国高専体育大会で4回目の優勝をなしとげた。昭和48年4月、岩崎博、横山昌弘、桜間功、今井美水、山西茂の新部員が入部した。
過去5年間の四国高専大会、第1位、第2位入賞者を次に挙げる。
(実際の10年史では、ここに第6回大会から第10回大会までの種目別順位1位、2位の氏名が掲載されていますが、当WEBでは「高専大会成績」に順位表を載せていますので、ここでは省略させて頂きます)

すでに与えられた頁数を大幅に超過した。まだ記すべきことが多くあるが割愛せざるを得ない。詳細は水泳部に保管してある部史を披見されたい。これで筆を擱く。(山崎長雄)

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2.高知高専20年史の中の水泳部に関する記事 2代顧問教官:小松一秀 著

水泳部は昭和43年5月濱田憲一ほか4人(全員1年生)が集まり、山崎長雄教官を顧問として、ただ水泳が好きだというだけの同好会として発足した。翌44年水泳が四国高専体育大会の正式競技種目として公認された。 同年4月には元部英治ほか11人の新会員を迎え同好会は大いに充実し、5月8日の臨時学生総会で水泳部として承認され、6月にはコーチとして南国市体育館より武市啓志氏を招き競技団体としての体裁を整えた。間もなく開催された第6回四国高専体育大会(7月21、22日、高松)に初出場した。他校の実力の予想もつかぬままの参加であったが大差をもって初優勝を飾ることができた。

45年の阿南での第7回四国高専体育大会においては、旅館のサービス劣悪という悪条件があったにもかかわらず2回目の優勝を果した。

翌46年には新入部員十数人を迎えたが、その中に3人の女子がいた。女子部員の記録更新に刺激されて男子部員の士気も大いに揚がった。高知での第8回四国高専体育大会において3回目の優勝を果した。その後も連勝を重ね51年まで8連勝の偉業を成し遂げた。しかしながら、52年の新居浜高専における第14回大会において遂にその王座を譲ることになった。栄枯盛衰の例ありと言っても部員のショックは相当に大きかった。その要因は何年か前から部員の間に芽生えていたのである。

翌53年部長の小松郁夫は顧問の山崎教官と相談して、3年がかりで再建することを計画し、目標を定め部員を激励した。小松はコーチの武市啓志氏の全面的な援助と同期生の協力を得て部員の精神面、技能面の充実向上を図り、率先垂範の実を示し、大会においても大いに活躍したが、再建の姿を見ることなく卒業しなければならなかった。残念だったろうと思う。 しかしその計画は後継の部長川村貴康、弘瀬源悟と引き継がれていった。小松の立てた目標は1年遅れはしたが、雌伏4年、56年、阿南高専での第18回大会において見事に達成された。優勝したのだ。毎年応援に来ていた小松もこのときに丁度居合せた。彼の再建計画の結実を目の当りにして、その感激はいかばかりであっただろう。

この第18回大会の壮行会の席上、弘瀬源悟部長は 「顧問の山崎先生が今年で退官されるので錢別の意味でも是非優勝したい」と挨拶し水泳部の意気を示した。この大会においては部員各自が自己の最善を尽して奮闘し各種目にわたって上位入賞した。特に1年生の活躍が目覚ましく、自由型の新谷祐人、背泳の北村秀の2人はチームに大量得点をもたらす立派な成績を挙げた。特筆大書すべきことである。この大会には「自己の最善を尽す」を合い言葉に出場したのであり、絶対優勝という確信はなかった。優勝は最終の400mリレーまでもつれこんだ。ここでも部員の協力団結の底力を遺憾なく発揮し、見事1位を獲得し、ここに種目優勝の栄誉を手中に収めた。 苦しみを乗り越えて得た優勝、公約を果し得て山崎先生によい贐(はなむけ)のできた喜びに部員の感激はまた一入(ひとしお)であった。山崎先生も長い間の顧問を退くに際しての立派な贈り物に胸を熱くされたことだろう。

第19回大会は高知高専で開催された。部員は弘瀬源悟が一人卒業しただけで新部長前田豊以下昨年の戦力がそのまま残った。また主管校という有利さもあって、大差で優勝し連勝記録に向かっていく基盤を作った。先輩の偉業を継承してどこまで記録を伸ばし得るか、部員が減少しつつある現在新部長山本素幹も頭を痛めることだろうが、部員各人も共に耐え抜いていく決意で日々の練習に打ち込んでいる。

以上は四国高専体育大会を主体として展望を進めてきたが、そのほかにも、高知県水泳連盟主催の選手権大会、記録会等にも出場している。高校や一般男子のレベルと比べると今一歩というところであるが、53年には小松郁夫が、57年には新谷祐人が国体の県代表に選ばれ、また高知県水泳優秀5傑に新谷祐人、北村秀の2人が名を列ねた。

また近畿中国四国高専水泳大会でも大いに活躍している。
次に四国高専体育大会での1位、2位入賞者一覧表を掲げておく。(実際の20年史では、ここに第6回大会から第19回大会までの種目別順位1位、2位の氏名が掲載されていますが、当WEBでは「高専大会成績」に順位表を載せていますので、ここでは省略させて頂きます)

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3.高知高専30年史の中の水泳部に関する記事 3代顧問教官:松内尚久 著

水泳部は昭和43年5月に創設されて以来、四国地区高専総合体育大会で10回の優勝を果たすなど輝かしい歴史がある。しかし、高知開催の第19回大会(昭57)での優勝以来退潮の一途をたどっている。特に高知開催の第25回大会(昭63)では過去最低順位の5位に甘んじた。この時期部員数も少なく、1種目1高専から2名まで出場ができるのにもかかわらず、数種目において1名参加であった。

平成2年から、部員数も徐々に増え初めたものの、高専入学を機に本格的に水泳に取り組む部員も多く、当時部長のE5元吉誠の厳しい練習もなかなか成果を上げるには至らず、彼の卒業までに4位の壁を突破することはできなかった。しかしながら、現部長の川村和也の人柄のもと、部員が一丸となって練習に取り組み、また、女子マネージャー2人の支えもあり徐々に実力をつけてきた。第29回大会では、3位入賞はZ2松木和幸のみであったが、みんなが平均して得点を得たため3位まで後一歩の得点を挙げることができた。 来年の30回大会では、現部員がすべて残った上に新入部員を迎えるため顧問としても非常に期待している。

次に、ここ10回の四国地区高専総合体育大会の3位以上の入賞者の一覧を掲げておく。(実際の30年史では、ここに第20回大会から第29回大会までの種目別順位1位~3位の氏名が掲載されていますが、当WEBでは「高専大会成績」に順位表を載せていますので、ここでは省略させて頂きます)

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4.高知高専50年史資料編の中の水泳部に関する記事 9代顧問教官:高田 拓 著

水泳部は昭和43年5月に創設されて以来、四国地区高専大会で通算13回の優勝を果たしてきた。ここでは、 平成5年度以降の直近20年間を振り返る。水泳部の練習にとって、欠くことのできないプールであるが、平成5年度の補正予算(102,000千円)により、プール新設が始まり、平成6年9月20日に竣工した。

以後、 四国地区高専大会においては、 平成7年度の準優勝を皮切りに、女子の活躍もあって、平成12年度まで、3回の優勝と3回の準優勝を果たした。その後、部員数の減少もあって、個人競技でも上位に入るのが難しい時期に入る。

平成19年度以降、部員数の増加と共に、個人競技の上位入賞者も増え、平成22年度には、全国高専大会の2種目で優勝、平成23年度には、四国地区高専大会で2位と盛り上がりを見せた。 近年の特徴として、 女子の活躍に加えて、 高専大会以外の大会であるインターハイ予選、 インカレ予選、 国体予選などへの参加が挙げられる。

平成6年から24年までの各大会における入賞者の一覧は「高専大会成績」に載せました。

 

高知高専創立50年記念史 2013(H25) 刊行

学校創立50周年式典を迎えて2013年に50年史が発刊されていますのでリンクを張っておきます。クリックするとpdfファイルが開きます。

50年史表紙

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